白昼夢日記

訥々と滔々と

幸福の返し方を知らない

時折、誰彼構わず幸福を振りまく天然記念物のような人間がいる。私が「幸せに生きてきた人間」と呼び、心底理解のできない生物。貯蔵している幸福が有り余っていて、好意で他人に押し付けることのできる人種。相手の都合を考えず自分の事情で動くことのできる人種。

 

幸せというものは自分の体ないしは金と引き換えに得るものだと思っていた。今も思っている。無条件に愛されるというのは顔もしくは性格が格別に良い人間にのみ与えられた幸せに生きてきた人間の特権であり、私のような外内面まとめて落第点の人間には縁のないもの。

そんな私に、妙に幸福にしたい人間ができた。玩具ではなく、人間として私のことを見てくれる人間。幸福を与えてくれる人間。
彼は何も求めない。体も金も、労働力としてさえも欲しがらない。何かしてほしいことはないかと聞くと、隣にいてくれればいいと言う。直してほしいところはないかと聞くと、そのままでいいと言う。私よりも労働時間がずっと長いのに私の体を気にかける。

 

何も返せない。

 

幸せだと感じている自分のすぐ後ろで、誰かがそう呟く。何も返せない。何もしていない。何もできない。もらった幸せの半分も返せていない。幸福の返し方を知らない。

 

幸福を持て余しているうちに、呼吸ができなくなる。何もできない焦りと罪悪感、捨てられたくないという汚い欲求に首を絞められていく。
私が幸せに生きてきた人間と呼んでいた彼らがおかしいのではなく、私の扱える幸福の総量が極端に少ないだけだった。彼らは上手に幸せを扱っていただけ。さらに悲しいことに、私はそれをよく知っていた。私がおかしいだけだということを他でもない私が一番よく知っていた。

 

底の浅いひび割れたグラス。注がれても注がれても誰の喉も潤すことができず、ただ溢れていくだけ。覆水盆に返らず。暖簾に腕押し。猫に小判。
消化しきれない幸福に溺れる。